アルプスを踏みつける   小堺  高志  2008年2月2日

 

笑っちゃうほど御粗末な機内食である。

マーケットで買う5ドルの冷凍食品の方が遥かに旨いと言い切れるほど不味いユナイテド エアー ラインの夕食を終え、飛行機はカナダ北部を東に向かっている。アテンダントはおばさんとおじさん、ワインは別料金、アメリカの航空会社はこんなにもひどかったのか、他にチョイスはなかったのか、と今になっ て思うが、ロス アンジェルスからヨーロッパにいく航空会社に日の丸を背負った飛行機はない。

先ほどまで見えていた陸地の灯りも途絶え、ここはもうほとんど人の住まない極寒の地であろう。1万2000メートルの機外の温度は摂氏ー64度と表示されている。

   
ヨーロッパへ向かう飛行機からの風景と不味そうな、いや不味い機内食これはランチ

1月25日、会社を半日で切り上げ、夕方のフライトで佐野さんとスイスアルプスにスキーに向かっている。私は30数年ぶりのヨーロッパになる。佐野さんは、やはりその頃ヨーロッパに行き、15年ほど前にも訪れている。
出発前、LAX空港でエルセントロの菊池さんと偶然会った。何回かマンモスで一緒しているスキー仲間の彼はスペイン人の友達とロンドン、パリ、スペインへ10日間の旅に出るところで、たまたま出発日が同じでゲートが我々の隣、77番であった。しばらく話して彼らの方が早く搭乗時間となった。

 

我々の目的地はスイスのサース フィーというリゾート地である。これまで聞いた事のない地名であったが、ここを選んだのはあまり有名でないので変に観光化されていないであろうし混んでいないだろう、高度がスイスの他のスキー場より高いので、温暖化の影響下のアルプスでも必ず良い雪があるだろうと思ったからである。さらにホテルでは朝晩の食事付きなので、毎日食事の心配をせずに物価高のヨーロッパでもそれなりに対処できそうである。有名なマッターホルンの麓、ツェルマットのスキー場にも近く、片道1時50分くらいでツェルマットにも日帰りスキーが出来るからである。

 

毎年我々がスキー遠征に出る時は、皮肉にもマンモスに良い雪が降る。今日もマンモスから雪の便りが入っている。「何でマンモスに来ないのか?浮気者め」と我々を嘲け笑うかのように、今年になって大雪が降り、今週もずっと新雪が降り続いているのである。

一方、向っているサース フィーはインターネットによれば10日ほど前に120cmほど降ったが、その後は積雪なしで昨日からは風が強く、雪質も落ちてしまっているようである。初めて行くところなので、行ってみないと分からない事が沢山あるが、それが旅の面白さでもある。我々は世界旅行の大ベテランだから何処に行くにも不安はない、スキーに関しては晴れ男の強運を信じ、大いに旅とスキーを楽しもうと思う。

 

昨年11月に見たヨーロッパ スキーの案内メールに引かれ、年々高くなるユーローと我々の年齢を考え、今行かなければ行く事はないだろうと思い立った計画であるが、スキーは勿論であるが、アルプスの旅を楽しめたら良いと言う思いである。そう、今回はアルプスを踏みつけにいくのである。もちろん出来るだけスキーで踏みつけたいところであるが。

 

飛行機はグリーンランドの南端をかすめ、アイスランドの南を通り、イギリス北部スコットランド上空を通過してドイツのフランクフルトへ向かっている。佐野さんはたしか「北極海を渡って行く」と言ってたと思うが、実際は北大西洋を渡っている。今の季節オーロラなど見えないものかと淡い望みを持っていたが、この空路では不可能である。

 

飛行機はヨーロッパに入り、陸地を見ながらだんだんと高度を下げて、ドイツのフランクフルトの空港に着陸態勢にはいる。フランクフルトはドイツでも経済の中心都市であり大都会のはずだが、上からみると都市部のなかに、半分は緑地が見えてとても落ち着いた都市に見える。ヨーロッパらしい昔からのゆったりとした環境を残しつつ現代の機能も兼ねそろえた街かと思うが手付かずの森が都会の近くにこんなに残っているのがとてもうらやましい。空港で3時間待ちして、ジュネーブへの飛行機に乗り換えるが、その間、空港のお店で物価のチェックをしてみる。物の値段はアメリカより1.5倍から2倍もしている。小さなペットボトルに入った水が4ドル50セント。さすがドイツ、ビールも水と同じ値段であったが水の値段は空港にしてもめちゃくちゃ高い。というか、しばらくアメリカドルと日本円の世界しか見ていない間にドルの価値が驚くほど落ちていたのである。

それにしてもこの空港は人間が少なく人混みでごちゃごちゃしていない。これがあたりまえで、日本やアメリカでいつも見る混雑した空港の方が異常なのであろうか?ドイツ、スイスではほとんどの人が英語を話してくれるので楽であるが、佐野さんは機内でドイツ語の勉強をしていた。おそらく役に立たないであろうが、現地語を少しでも話したら印象が違う。

  フランクフルトの飛行場

ジュネーブまではルフトハンザの飛行機であった。眼下にライン河の支流がみえる。45分という短い飛行時間ながら国際線であり、けちなユナイテェドと違い無料になったワインを飲みながらしばらく夕焼けの風景を楽しむ。ジュネーブに近づくと夕暮れで紅く染まったアルプスの山並みが180度の展望で現れた。もっとすごい迫力で我々を向かえてくれるのかと思ったアルプスは思いのほか優しく優雅に我々の前に姿を現した。

薄暗くなったジュネーブ空港に着き、列車に乗り換えなければならないが、列車の出発まで45分しか時間がない。飛行機からおりると、実際には残り35分ほどである。この時間内で入国手続きをして、駅に移動して、スイス鉄道のパスにスタンプを押してもらわなければならない。あまり余裕がないように思うが、
佐野さんが宅配便のような最終地点まで自動的に荷物を送ってくれるシステムをみつけ手配してあるので、空港で荷物が出てくるのを待たないで良い。そしてこの空港の地下から列車は出るという。

え?と思うほどの簡単な入国手続きで、すべてが予定よりスムースに進み、発車時刻の10分前には列車に乗っていた。ここからビスプと言う駅まではさらに2時間、ビスプでバスに乗り換え最終目的地サースフィーまではさら1時間ほどかかる。ここからは食事の機会もなく空腹を我慢しての旅となった。30数年前にもスペインから長い列車の旅をして腹ペコでスイスに着いたことを思い出す。あの時もスイスに着いたのは夜中であった。暗闇の中を列車は進む、しかし車内には煌々と電気がついている。

   
 夕暮れのライン川                       夕日でピンクに染まったアルプスが我々を向かえる

     
 列車の中で、結構腹ペコ、でも元気

ビスプで鉄道を降り、バスで約1時間で最終目的地サースフェーであるが、ビスプの駅に着いたらいきなりここは無法地帯である。何だ何だこれは?高校生位の若者達が100人ほど駅前にたむろしてビールを立ち飲みしている。足元には割れたビール瓶が散らばり、さすが永世中立国、高校生とも争いを起こしたくないようで、取締りをしないのか?ちょっと異常な状態である。

バスが出るまで15分ほどあるので、少し町を歩いてみると、街の中心街では高校生だけでなく、さらに人数が増え、年配の人もいる。音楽が喧しく演奏されている、出店がでて、ビールなどが売られている。仮装して歌って踊って、今日はなにかのカーニバルのようだ。我々もビールを飲みながらしばらく祭りを見学する。


       
 

バスは暗くなった山道を1時間ほど走り、大きなバス停の中に入り停まる。サースフェーはスイスでは有名な山岳リゾート地であるがツェルマットに隠れてあまり海外ではスキーヤーに知られていない。村のすぐ背後まで氷河がせまり、4500メートル級の山々に囲まれるように谷底に出来た村である。その村を抱える谷がスキー場である。ここは車の乗り入れを制限された街で、車が入れるのは村の入り口にあるこの大きな駐車場まで。バス停を出ると各ホテルからの電気自動車が出迎えに来ている。ホテルに電話を入れると15分で迎えに来ると言ったが、一台目は満車で乗れなかった。ばか寒くないのが幸いであるが、それでも寒い。我々の預けた荷物はこのバス停に配達されるはずであるが当然まだ届いていなかった。暗闇の中でまだ周りの景色は分からない。

我々が滞在するホテル ヨーロッパまでは車で5分ほどの距離であったが、狭い坂道を行くのには小さな電気自動車が活躍している。この街に限らず、ここまでの道路も山岳地スイスの道路はどこも日本のように狭く、車がすれ違うのに苦労していた。ホテルはとても小奇麗なスイス風の建物で、外側は古い造りかと思ったが、中は新しく改築されている。荷物を降ろしチェックインして部屋に向かう。幾分部屋が狭いのはしょうがない。すでに10時を回っていて、食堂での夕飯の時間は終わっていたが、遅く着いた我々のため部屋に食事が用意されていた。それを食べて明日に備えて寝ようと思ったが疲れているはずなのに久しぶりの異国でまだ眠られるはずがない。早速、佐野さんと近くのパブに飲みに行くことにする。ホテルの前から少し坂道を降りると、この村のメイン道路に出る。パブの看板を見つけ隠れ場のような小さなドアを入ると雪の洞窟風の内装で雰囲気の良いお店で混んでいる。バーテンダーの女の子がオーダーをとる。スイス人は英語を話す人が多いが、たいがい少しドイツ訛りがあって僕らも聞き取り難い。バーテンダーの女性にあまり英語がは話せない人に話すように英語で話しかけると彼女も同じように返す。お互いに初級英会話コースといった会話をしていたが、その後、実は彼女はイギリス人だと分かった。多国籍の人が集まる場所ではよくある事である。2杯ずつ飲んでホテルに戻る。

     
電気自動車                      パブにて

朝7時に目覚め外を見ると昨夜は見えなかったアルプスが目の前にせまり、その上にお月様が沈もうとしている。この圧倒的な風景がホテルの自分の部屋の窓から見える贅沢。天候は良さそうである。朝ごはん付きなので食堂に下りるとそこからも山が見える。朝の食事はセルフサービスのビュフェスタイルで、シリアル、各種パン、手作りのジャム、ハム、チーズ、ヨーグルト、卵、飲み物などが数種類用意されている。そして食後、バス停に荷物を取りに行くが、まだ着いていないと言われ手ぶらでかえる。困ったものであるが、後2時間で着く予定だと言うので待つしかない。今日のスキーは午後からの半日になりそうである。

 

今朝はレジナという女性がホテルのフロントにいる。彼女はドイツ人、私がこの旅の予約をして、その後を詰めるのは佐野さんの役割、事前に佐野さんはレジナと何度も電話で話して情報を取っていたので、かなり親しくなっていて、いろいろ助けてくれる。

彼女によると昨夜のカーニバルはヘクセンアブファートというお祭りで魔女が歌い踊り冬を追い払い春を呼ぶといった祭りでまだ一週間くらい続くらしい。18歳以下の未成年がアルコールを飲むのはスイスでも違法だがヘクセンアブファートでは黙認に近く、若者の暴走はこの国でも問題になりつつあると言う。

    
朝方アルプスに沈む月、この山がスキー場の全景でもある ホテルの朝食

10時になったのでバス停に荷物を取りに行く。良かった今度は着いていた。荷物を持って電気自動車で一旦ホテルに戻り、スキー場に向かう。歩いても15分ほどの距離である。街中の建物は私らの泊まるホテルもそうであるが、外装、外壁は古いスイス的な情緒を残しつつ、実は中身は改装されて新しくきれいである。

 

我々が泊まるホテル ヨーロッパからゲレンデまでホテルの電気自動車で送ってもらうと5分くらいであるが、ホテル客専用のスキールームがゲレンデのすぐそばにある。そこで靴を履き替え、スキー用具を夜間も置いておける。ゲレンデに出て、チケットを買い求めるが、どうやら風が強いため、一番下のTバーが2本開いているだけだと言う。初日からがっかりであるが、でも今日はそのため一日券が11フランだという。普段の一日券の5分の1の値段である。一部のリフトしか動いてなくても、値段を下げないカリフォルニア、シェラネバダのどこかのスキー場と比べれば遥かに良心的である。

しかし天候も良く、目の前にアルプスが見えているのに上から滑れないのは残念である。でも今日は高度順応の意味もあり初心者コースで雰囲気を味あうだけにする。マンモスでも乗る事のない初心者用T−バーを3−4本滑ればもうビールでも飲むしかない。バーで軽い食事とビールを飲めば気分も良くなる。考えようでは、今日は朝スキーがとどかなかったが何も失ってはいない。アルプスを眺めながら飲むビールは最高である。

     
風のため上にはいけず
 

ホテルへの帰り道、また昨日のカーニバル、ヘクセンアブファートの行列にあった。この地方のそれぞれの村では、まだしばらくはこの祭りは続くらしい。

ホテルのサウナ、バーで時間をつぶし夕飯に食堂に行く。朝はセルフ サービスだったし、賄い付きの夕食にあまり期待していなかった。キッチンを見れば昨日の車のドライバーが食事を作っている。フロントのマイカがウェーターをしている。大丈夫か?小さなホテルなのでそれぞれがいろんな役割をしなければならないそうだ。シェフが運転する車に乗るのか、ドライバーの作る料理を食べるのか、と思うが、どちらもプロの仕事として、ちゃんとこなしているのはさすがゲルマン民族である。

 

    
ヘクセンアブファートの行進

期待していなかった夕飯はなかなか高級感あるフレンチ料理のフルコースであった。隣の席はイギリス人の退職した年配の二人組み、世界中いろんな所を旅しているそうである。ここの客はほとんどがイギリスからのスキー客だあった。その他、ドイツ、ニュージーランド、ノルウエー、スウェーデン、と多国籍であるが、120人ほどいる客で日本人とアメリカ人にはまだ会っていない。

明日は風が弱まるだろうと聞いているが、アルプスを踏みつけに来たはずの私たちの一日目は一歩しか踏み込めず、十分に踏みつけられないまま、中途半端に一日目が終わってしまった。

  

翌朝起きると昨日とおなじように目の前のアルプスに月が沈もうとしている。

フロントのレジナに聞くと「今日は上まで開くそうだ」という。朝食をたべて9時出発の電気自動車でゲレンデまで送ってもらう。

遅れてはならじと勇んできたのに、ゲレンデは空いている。こんなに天気がよく、もう9時半だというのにチケット売り場にもゴンドラにもラインはない。マンモスのようにリフトの動き出すのを待っているスキーヤーはいない、のんびりとしたものである。

 

地図をみて、さらに念を入れて人に聞きながら、このスキー場の最高度地点をめざす。山が大きいのでマンモスのように細かい地図ではないので現在地が分かり難い。最初のゴンドラに乗り、さらにフェルスキンという中継点で山の中にくり貫かれたトンネルの中を走る登山列車に乗り換える。急勾配のトンネルの中を驚くようなスピードで上ってゆく。10分ほどで、終着地点アラリン、3500メートルに着く。ここがスキー場としていける一番標高の高いところであるが、山としてはまだ上へと続いている。近くにはスイスの中で一番高い山モンテロサ4637メートルがあるなど、この界隈の山々はスイスでも有数の夏のアリパインルートの観光地でもあると言う。ここのスキー場は氷河で削られた大きな谷の斜面にあり、スキーコースの回りにはところどころに氷河独特の青い氷が顔を出している。谷底にあるサースフェーの村に向かって滑る下りる事になる。いよいよ待望のアルプスを滑り出すと思ったら佐野さんが、この期に及んでまずはトイレタイム、出発ゲートの競馬馬のように逸る心を抑えて、佐野さんを待つ間に周りの風景を記念撮影。

滑り出しは幾分なだらかな斜面。気合を入れて滑り出す。雪質はここしばらく積雪がなく温かい日が続いているので、幾分硬い。でもこの壮大な風景の中でアルプスを踏みつける事に今回の旅の意義があるので、アルプスの青空を楽しみながら下界に向かって滑りおりる。気分は爽快、いま私はアルプスを滑っている。一旦止まりすぐ後ろの佐野さんを待つ。互いを確認してまた滑り出す。コースが長いので細かいターンでは下まで足が持たない。基本は中くらいの大きさのターンで滑る。気候は滑っていると幾分、汗ばむくらいの温かさ。3500メートルの高度もいつも通うマンモスと大きな差はないので苦にならない。途中何度か小休憩のたびにビールを飲む。ここはビールの本場ドイツにも近いので、休憩所のどこに行っても生ビールがありうまい。山腹のセルフのレストランには自分で注ぐ生ビールがあった。3種類あってどのビールがいいか迷っていると、隣にいた人がお勧めの地ビールを教えてくれる。

スキー客は隣国のドイツとイギリスからの人がほとんどで、何度か来たことのあるリピーターが多いようである。今のところ東洋人には一人も会っていない。

初めて滑ったヨーロッパのスキー場の印象はコースが長い、空いている。カナダのウイスラーも規模、広さでここより勝っているとはおもうが、ウイスラーは北米一の大きさを誇る有名なスキー場である。一方ここサースフィーを知るアメリカのスキーヤーが何人いることか?この規模のスキー場はアルプスの中にまだ沢山あるのである。


     
サースフェーの山頂             遥か下に村を望む              ゲレンデを行く佐野さん

 
    

中腹のレストランで休憩、向こうの山はイタリア、こういう場所で飲むビールは旨い

     
 

夕食は昨日と同じテーブル、今日はかなりの人が帰ったので夕べほど混んでいない。今日もフレンチの5コース、私らより遅れて隣のテーブルに昨日とおなじイギリス人のジョンとピーターが座る。話し好きのジョンに佐野さんが絡むと私たちのテーブルは今日も一番騒がしい。

食後、佐野さんが持参の日本酒を持って下に行った。昨日から親しくなったバーテンのセバスチャンがロビーでワインを飲んでいて、佐野さんを呼んでいるらしい。ロビーで仕事をしながらワインを飲める彼はただのバーテンダーでなく、どうやらオーナーらしい。私はエッセイを書いて部屋に残っていたが、なかなか佐野さんが帰ってこない。酔っ払ったら明日のスキーも怪しくなる佐野さんの限度を知っている私は11時になり佐野さんを呼びに行く。

玄関ロビーでは、またまた佐野さんがやってくれていた。オーナーのセバスチャンをはじめ今夜の従業員全員と酒盛りをしている。中心でかき回してるのは佐野さん、相当できあがっている。私もすぐに席につかされ、ワインを注がれる。セバスチャンがバーからどんどんワインや、いろんな酒を持てこさせて振舞ってくれる。私のカメラについたビデオで全員の自己紹介を写すと、ろれつの回らない人が数人。佐野さんが酔っ払って来年も来ると確約しないよう、ブレーキをかけないといけない。

両親から2つのホテルの経営を任されたセバスチャンはまだ40代のはじめか、こんなに大盤振る舞いをして大丈夫かと心配になるが、このホテルのスタッフもサービスも申し分ない。宴会は12時まで続いた。

さて、明日は隣のスキーリゾート、ツェルマットに遠征の予定である。ツェルマットにはヨーロッパで一番有名なアルプスの貴婦人と呼ばれるマッターホーンがある。幾分二日酔いでも、後の天気を考えると明日行っておいた方が良いと思う。天候が悪くなってマッターホルンの見えないツェルマットに行っても、それではビールが入らないビヤジョッキで意味がない。絶対明日は佐野さんを起こすぞと勇んでベッドに付く今日も寝不足の私である。

 

二日目はアルプスを踏みつけるが、雪は硬し。

   
ロビーでオーナーのセバスチャンとフレンドリーすぎる酔っ払いホテルの従業員の面々

 

朝6時前に起きて佐野さんを起こす。明日から少しずつ天候が悪くなりそうなのでツェルマットは天候が崩れる前に是非とも行っておきたい。今日行けば間違いなく天候は良くマッターホーンを見ることができる。

朝から従業員は昨日の二日酔いもなく、ちゃんと働いていた。朝飯は7時半からだが、7時にはもうツェルマットに向かう我々二人に特別に食事を始めさせてくれた。

谷底にあるこの村の夜明けは遅い。8時ごろから山の上方に日が当たり、じわじわと下に日差しが下りてくる。まだ暗い中を歩いてバス停に向かう。バスのチケットを買って7時31分発のバスに乗り込むと、この時間は学校に向かう小学生でいっぱいであった。隣の席の男の子が日本語で「おはよう」と話しかけてくる。「おはよう」「こんにちは」「さようなら」が彼の知る日本語のすべてらしいが日本に興味をもつ子供がここにいる事にちょっと嬉しくなる。バスが隣町のサースグランドに着くと子供たちが降りて行き、今度は高校生が数人乗ってきた。谷の中を鉄道への乗り換え点スタルデンに向かう。両側の切り立った崖の中腹に張り付くように木造の家が建っている。スイスでも都会と観光地以外は貧しい造りの家もある。そのほとんどが外側は昔からの物と思える材木を組み立てて作られた家である。

谷の分岐点のスタンデンに着き15分ほど待ち8時20分の列車に乗り換えと、そこから50分ほどでツェルマットに着く。ここで初めて駅前からマッターホーンの姿がみえる。駅前のこの地点に30数年前私は立っていた。その時私は日本からユーラシア大陸を西へと移動して西周りでこの地点に来た。そして今、太平洋と大西洋を越え、東周りでこの地点に立っている。これで私は地球を一周する軌跡を描いた事になる。ちょっと考え深いものがある。

    
夜明け前の山                  バスの窓から              列車に乗り変えツエルマットへ


   
 

30数年前ツェルマットの駅前て撮った写真と今回同じ場所で撮った今回の写真、駅も街も様変わりしていた。でも同じロバが居た、違うだろうと一人突っ込み。
 

駅に下りたスキー客はここからスキー場へは3通りの行き方があるらしい。我々はここから登山列車でスキー場に向かう方法を選ぶ。何の気なしにスキー場のゴーナーグラトと言う地点への登山列車の往復券を買ったが、これが後で面倒なことになる。

ツェルマットは大きく分けて5つの地域に分けられる。谷の手前の3箇所がスイス側で、谷の裏側2箇所がイタリア側。一日しか時間がないのでイタリア行きは考えていない。スイス側をどのくらい滑られるかだが、我々が最初に乗った登山列車は真ん中のスキー場の上まで運んでくれる。途中、列車の右側にマッターホーンの雄姿を見ながら高度を上げていく。最終駅で降りて駅の建物の反対側に回りこむとマッターホーンが目の前にみえる。逸る心を抑えながら靴をロッカーにいれ、スキーを履いてマッターホルンに向かって滑り出す。雪はサースフィーより少し良い。これほどの眺めに恵まれたスキー場は世界中にないであろう、天候も良く最高にいい気分である。

    
この角度からが一番美しいマッターホーン

あまりツェルマットの事前調査をしてこなかった我々は勝手が分からない。山に向かって左側の斜面から攻めようと、滑りながら右へ右へと進む。ガントという地点までおりて、リフトでもうひとつ隣の尾根へ移動しようと、ここで一日券を買おうとしたら一番下のベースまで戻らないと買えないという。我々が買ったのはいわゆるノンスキーヤーが買うゴーナグラトまでの往復チケット。リフトに乗るには、その度に一回券の購入が必要だと言われた。しょうがなく一回券を買って尾根の上に出て、ツエルマットの町へ向かって滑りおりる。これもかなり長いコースである。

登山列車の駅までおりて、1215分からの半日券に変えてもらう。少し時間があるので駅前のティー ルームで軽い昼ごはんを食べる。再び列車でゴーナグラトまで戻り、今度は左方向へと降りて、フリという地点でスイス側の谷の一番奥で、一番マッターホルンに近いゲレンデに向かうゴンドラに乗る。途中でゴンドラを乗り換えて3883メートルにあるマッターホーングレシャーパラデスに着く。ここからのマッターホーンは見慣れたツェルマットの町から見るのと全く違う裏からの姿を見せてくれる。やはりこの山はツェルマットの町の方向から見た姿が一番美しい。

   
天候も、スキーも、風景も、そしてもちろん気分も最高!

 

このあたりは360度近くの展望でアルプスの山々の風景が見られ、そしてゲレンデがやたら広い。眼下にイタリア側の斜面が見えるが、我々はイタリアは見るだけでスイス側に滑りだす。途中で一度リフトに乗って山頂に戻る。再び国境で、崖の下はイタリア領。青空の中にマッターホルンがまぶしくそびえ立つ。これで雪が新雪ならどこでも滑れるのだが、今日の雪質ではグルームされた斜面を滑るのみ。それでも憧れのマッターホーンを見ながらアルプスを滑る贅沢さはスキーヤーとして 十分すぎる充実感である。最高にスキーをやってきて良かったと感じる瞬間があるとすれば今この時であろうと思った。

   
マッターホーンを見ながら滑る、イタリア国境付近から見たマッターホーンは3枚目の写真、こんな姿をしている
 

スキー場の上部はめちゃくちゃ広いゲレンデである。下に下りるにしたがいだんだんとゲレンデも狭くなるが、コースは長い長い、カナダのウィスラーも長いが、ここの長さはさらに長い。気持ちよく無限に続くかとおもえるターンを繰り返す。左手のマッターホーンがだんだんと見慣れた姿になっていく。いい加減太ももが笑ってくる頃、最後のコースが川に沿って続く。後ろを振り返るとマッターホーンが夕暮れの中で見送っている。30数年ぶりで再開したマッターホーンとの別れの時が来ようとしている。

終点に着いた我々は長いバス待ちのラインを避け、電気タクシーで駅に戻る。5時38分の列車でスタンデン経由でサースフェーに戻る。スタンデンでバス待ちの15分を使い、駅のレストランで生ビールで乾杯しよう。今日はビールも飲まないで滑り続けた。一日でのトータル滑降距離としては我々の新記録だと思う。

   
広大な斜面を行く崖の下にはイタイア領のゲレンデがつづいている

   
マッターホーンに別れを告げる

来た時と同じスタンデンの駅でバスに乗り換える。行きがけにこの駅にはレストランが付いて、バーもあることはチェック済みであった。15分の待ち時間でビールを2杯飲めることも予定通りである。今日はマッターホーンに乾杯!
ヨーロッパホテルに戻って、食後、寝る前に今夜も街に飲みに出る。外は星空でアルプスの上にオリオンが輝いている、静かな夜である。スキー場の近くまで歩いた我々は一軒のパブに入る。金髪の二人組み女性の生バンドが入っている。しかしスイスは20年前のアメリカのようにどこに行っても灰皿がおいてあり、公共の場でもタバコを吸っている人が多い。私が禁煙して25年、アメリカで公共の場での喫煙が禁止されて10年位かとおもうが、昔はなんとも思わなかったタバコを吸う風景が気になる。この村は車の排気ガスをなくすため、ガソリン車の乗り入れを制限してるのに、タバコの煙はいたるところに充満している。なんとも片手落ちな感じを否めない。酔っ払いのセバスチャンは私のこの質問に答えられなかった。

メインストリートの近くにも古い建物が残る。豊富に太く厚い木材を使った建物は何100年も残るしっかりした建付けである。そのほとんどは改造され中は新しいがやはりアメリカと比べると造りが狭い。道路の横のベンチの下に野良猫の兄弟がいた。寒い冬をたくましく生きている。猫好きの私は思わず心の中で元気で生きろよと声をかける。

 

3日目は膝が笑うまでアルプスを踏みつけて大満足の一日であった。

   ツエルマットのスイス側全景、右にイタリア側のコースが見える

      

夕方、サースフィーに帰るバスを待つ間に撮った写真と毎晩食事が一緒のジョンとピーターそして村の野良猫兄弟

4日目、ぱらぱらと雪が降っている。今日は半日休憩日と決めていた。このところ強行スケジュールをこなし、なおかつ寝不足であったので、昨夜は佐野さんに市販の睡眠促進剤を一錠もらって飲んだ。朝8時ごろ起きたが異常に眠い。朝食の後、ベットの中でエッセイを書き始めたがすぐにうとうとする。外には雪が降り出した。11時ごろ佐野さんは近くのヘルスクラブの温泉に入りに行くと出かけた。まだ眠いがこのままでは時間がもったいない。少し新雪が降っているので午後から気合を入れて滑りに行く。半日チケットがこの前より安いな?と思ったが、スイスフランで払ってそのままゴンドラ乗り場に行くと、やはりはじかれた。私が買ったのは初心者コースでしか使えない半日券だという。チケット売り場のおばさんに文句をいいたいところであるが、異国の地で言葉が通じない人が相手ではこの位の行き違いは謝容範囲としなれればならないのであろう。

ゴンドラと登山列車を乗り継いで上に行くと、山頂はやはり霧がかかって視界が悪い。それでも滑り出すと、さらに何も見えなくなった。自分の足元のスキー以外はなにも見えないホワイトアウト状態である。右に寄るとコースの右端を示すポールとロープが張ってある。そのロープにそってゆっくりと下りる。3人ほどのスキーヤーが追い越していったのでしばらくは彼らを目印に後を付いて行く。

     
外に出ると視界が悪い、前の3人組についていく、中腹まで苦労して下りるとやっと少し見えてきた

やっと中腹から視界が良くなった。今日の雲は高いところだけで、ここからは下界が見える。2度ほどTバーを使い、下まで滑ってもう一度中腹までゴンドラで戻ると、佐野さんから無線機で連絡が入る。ホテル近くから呼び出しているというからかなりの距離があると思うがよく聞こえる。今回はアルプス用に20マイル(1マイルは約1.6km)届く携帯無線機を持って来ている。「今からスキー場に向かって歩いていくので下で落ち合おう」という。大体15分位で下まで降りれると思うと伝えて滑り出す。かなりのスピードで下りてスキールームで靴を履き替え外に出ると佐野さんが待っていた。ホテルまで10分少しの距離であるが、まずはゲレンデ近くのパブ、ブラックホールによって一杯。見慣れないドリンクを飲んでいる人が大勢いる。湯気が立っているところを見ると温かい飲み物らしい。聞くとホットワイン、グルーバインと言う飲み物であった。飲んでみると赤ワインを温めて砂糖を加えた物である。スキーの後、冷えた体にいいらしい。さらにもう一軒スキーバーというお店をはしごする。ここは天井に何本もスキー板を張り付けたインテリアで地元出身のスキーヤーであるネスター バーグナーの経営するお店だという。それにしてもヨ−ロッパの人たちは「つまみ」なしてアルコールをがんがん胃袋に流し仕込む。途中のおみやげ店を冷やかしながらホテルに帰る。道すがら、このメインストリートでは顔なじみと出会う事も多い。小さな村の誰もが通るメイン道路である。ここのお店で一番多いのは やはりスポーツ具屋さん、そしてみやげ物、レストラン、パブ、ハム・ソーセージ屋さん、時計屋さんなどである。その他マーケット、銀行、ホテルと何でもある。


     
やっと見えた村を目指して滑る                                  ブラックホールにて

  
   
                                                        2件目のスキーバー

       
メインストリート               私のお家はスイッアランドよと佐野さん  ヨーロッパホテル、二階の2部屋目が我々の部屋

朝方、大騒音に目を覚ます。4時半でまだ暗い外を楽団が音楽を奏でながら通っていく、またもやこの地方の春を呼ぶカーニバル、ヘクセンアブファートの楽団行列であった。こちらに着いてから方々でこのブンチャッチャッに会っているが、とうとう今日は明け方からの睡眠妨害である。世界中にはいろんな祭りがあり、地元に愛され何年も続いているのであろうが、明け方のブンチャッチャッは勘弁して欲しい。

外は霧がでている。視界が悪いスキーほど面白くないスキーはない。昨日の山頂の状態ならどうしようと、フロントのマイカに今日の状態を聞くと上は晴れているというので安心。山頂は3500メートルであるから、1800メートルくらいの雲は村を覆っているだけで上は晴れているらしい。

 

食事の時の隣人ジョンに紹介されて、今日は彼らの属するイギリス最大のスキークラブであり、世界中の40箇所のスキー場に世話係を持つというUKスキークラブに一日のゲストとして一緒に滑らせてもらう事になった。しかしジョンとピーターの二人は今日はツェルマットに行くので、「集合時間が9時45分だから、アルプス エックスプレスのゴンドラ乗り場でフィルというクラブのガイドにジョンの紹介で一日ゲストになりたいと言えば良い、フィルはグリーンのSKI CLUB UK と書かれたジャケットを着ているから」と、これが我々に教えられた情報のすべてで、これからずうずうしくも臨時会員としての参加を頼み込もうと言うのである。ゲレンデ近くのスキールームでスキー靴に履き替えてアルプスエクスプレスのゴンドラ乗り場に送ってもらう。9時45分にはまだ時間がある。

時間を潰しているとガイドに案内されて日本人の団体が入ってきた。ここに来てはじめて会う日本人で、少し話して見ると彼らはツェルマットに泊まっていて、今日は日帰りでサースフェーに滑りに来たという。

小柄なグリーンのジャケットを着た人がいた。ジャケットには Ski Club UK.comとある。「佐野さん、あの人がそうだよ」と話しかけてみるとその人が我々が探していたスキークラブのフィルであった。フィルは「クラブ員のジョンとピーターに紹介されたので、一日ゲストとして一緒に滑らせてもらえませんか」と虫のいいお願いを快く承諾してくれた。やがて参加者が集まってくる。当然、僕ら以外は全員イギリス人。ロス、ポール、ラッセル、ビル、総勢7人でゴンドラに乗る。途中で登山列車に乗り換え3500メートルのアイタリンにつく、さらに二人のクラブ員とトニー夫妻を加え、フィルのガイドで滑り出す。昨夜の雪が8cmほどゲレンデを覆っていて、山頂は視界も良く、昨日より雪質も滑り易くなっている。フィルは今回、2週間スイスにいてクラブ員のガイドをし、明日イギリスに戻り、来週はニュージーランドでバケーションだという。毎年冬の間3週間から5週間クラブのガイドをし、本職は他にあるらしいが優雅なものである。サースフェーを知り尽くしたフィルは私たちをその日のべストの斜面に連れって行ってくれる。しかも私たち2人では怖くて出来なかった、コース外(オフピスト)の雪面を滑らせてくれる。ヨーロッパはアメリカほどうるさくなく、コース外を滑る事ができるが、自己責任での選択になる。アルプスの氷河の上にはクレパスがあるし、今日のはコースすぐ横を滑るくらいのものだが、新雪が8cm位あり、コンデェションはかなり良くなっていて、少しだけバージンスノーの感じを楽しませてくれる。

        
サースフィーの全景                 天候よし、緑のジャケットが案内人フィル

       
たまに新雪を滑らせてくれる。真ん中は偶然会った日本人の女性ボーダー、氷河が迫る    私のシュプールはどれでしょう

フィルはクラブの世話役、案内人であるが資格を持ったガイドではない。本当の山岳スキーを滑るにはガイドはちゃんとした資格と雪崩にあったときの発信機、スコップなどなどを装備していなければならない。だからフィルが案内するコースは通常のコースをちゅっと外れたあたりである。それでも滑った跡を振り返れば自分が描いたシュプールを見られる斜面もあるので、そんな斜面を滑れた時は最高に気分がいい。
フィルと2人のりのTバーに一緒に乗る。このスキー場にはTバーが多い、それは氷河が刻々と動いているためリフトの支柱が立てられないからだと言う。Tバーでも月に一度くらい調節が必要だと言う。ゲレンデに迫る氷河の壁を指差して言う。「あの氷河の壁は3年前には8メートルくらい手前にあった。年々解けて後退している。今亀裂が入っているところは今年の夏には崩壊してなくなっちゃうだろう」とここにも目に見える地球温暖化の影響があった。アルプスの氷河は毎年確実に減っているのである。
今朝いきなり会って参加をお願いした私たちを快く受け入れてくれたフィルはナイスガイであった。
他のメンバー同士もここで出会った人たちがほとんどで、さすが紳士の国イギリス人、ゲストの我々にも、皆とてもジェントルマンである。トニーが「君のスキーは見ていて楽しい、君のように滑れたらいいと思う」と言ってくれた。


       
フィルさん次はどこは                  満足ですの顔

途中で昼食を1時間ほどとって、それ以外はほとんど休みなく滑り続ける。今日のコースは上級者用で、時には急斜面のコース外を滑らせてくれるが、ちゃんとフィルは各スキーヤーの力を見極め、「ここは君と君は付いてきて、他の人は向こうから回って下で落ち合おう」などと指示をしてくれる。なによりも不慣れなスキー場で次にどこを滑ろうか考えないくていいのが楽である。クラブ員でないのに大抵私がフィルのすぐ後ろに付く。もう少し積雪があったらもっといろんなコースを滑れていいのだろうが、フィルのガイドのおかげで今日のコンデションでは最高のスキーが出来た。最後に私と佐野さん、ジムの3人だけが案内されたのは急斜面で、岩が出ている林の中の斜面、フィルももう少し雪の状態がいいだろうと思って案内したそうだが、下りるしかない。岩を避け何とか通常コースに出る事が出来た。ここでいつの間にか午後4時近い、今日の我々のスキーは終了した。


      
昼休み、メンバーの面々                                                 フィルとの3ショット

アフタースキーに彼らは毎日決まったお店でいっぱい飲んでから帰る。私たちも誘われてスキールームにスキーを入れて、そこに向かう途中、またしてもブンチャッチャッのパレードに遭遇。魔よけの意味があるのか紙吹雪を頭に浴びせられる。佐野さんもその女の子に「私にも」と言ったら、胸の中に詰め込まれた。彼らの集まるバーは昨日私たちが立ち寄ったハイニッケンのパラソルがあるオープンバー、ブラックホールであった。2杯ほど飲んで一日のスキーを振り返る。

その後、メトロポリタンホテルのラウンジで毎晩メンバーのミーチングがあるそうで、それにも誘われていた。一度ホテルに帰って出直してミーティング会場に向かうと、途中でメンバー達と出会い一緒に行く。彼らの奥さんなども交えて11人でビール、ワインなどを飲む。イギリスではスキークラブは社交の場でもあるらしく、こういったミーティングは伝統的にクラブ内での交流を深めるために行われているようだ。やがてツエルマットから戻ったジョンとピーターも加わる。

一口にイギリス人と言っても、スコテッシュ、ブリテッシュ、ウェールスがいて、彼らに言わせるともともと違うバックグラウンドをもった国で、それぞれにプライドがあり、区別すべき国民性を持っているのだという。ロンドンから1時間くらいの郊外に住むブリティシュのジョンとピーターは一言話しただけで、「彼らは、スコテッシュだ」などと我々に教えてくれるが、我々にはほとんど違いが分からない。

イギリス人はアメリカ人より、皆なんとなく品格があり、優雅さを身につけている。それにしてもここではアメリカ人に一人も会わないのはどうした事だろう。ヨーロッパでは文化的には大いにアメリカの影響を受けながらも、政治的にはアメリカを嫌う人が多い。「我々もカリフォルニアから来たって、言わないほうが良かったのかね?」などと佐野さんと話してしまうのである。おそらくアメリカ人はツェルマットとかに団体で来ているのであろうか。あるいはアメリカ人だと分からないようにイギリスなまりの英語を使ったりして隠れているのかもしれない。そんなことはないか?

ゲストである我々を、すっかりクラブの一員として受け入れてくれ一日を楽しく過ごさせてくれた紳士たちにお礼を言ってホテルに戻り、そのままジョン達と夕食をとる。毎晩彼らと2時間くらい一緒に食事をしているが、一緒に滑ったことがない。ジョンとピーターも明日が最後のスキーであるが隣村のサースアマゲルに行く予定を立てている。今日サースアマゲルに言ってきた人にジョンが雪の状態を聞いている。ここより標高が低いので雪質が悪いという。「それならば私たちと、ここで一緒に滑らないか?」と私が誘うと喜んで乗ってきた。スキー場で出会い、毎日何時間かを過ごした仲間として、一度一緒に滑れるにこしたことはない。明日は彼らと一緒に数時間滑る事にした。

5日目は、パウダーを踏みつけて大いに満足。



    
ブンチャッチャッの正体 
     
 紙ふぶきを胸に詰められる                              UKスキークラブのメンバーたち 

冬山の天候は変わりやすい。先日までは今日金曜日の天気予報は雪であった。朝起きて山を見ると上半分がみえない。でもテレビで流れるスキー情報では山頂は好天との事で、9時にジョン、ピーターと食堂で会って10時に出発する事になった。

昨日フィルに案内されたコースで山頂へ行く。山頂には綺麗は青空が出ていた。そこは着くなり階段を何段か上らなければならない。しかも3500メートルであるから、けっこうキツイ。

今日はフィルに代わって半日、彼らを佐野さんとリードしてあげなければならない。今、雪質がいいのは山の上部である。Tバーを使って山頂付近を3本ほど滑る。場所によっては新雪にシュプールを描ける。イギリス人の二人のスキーの腕前は中級くらい、イギリスには大きな山がないから彼らはそれでもいろんなとこで滑っている。彼らのペースに合わせてゆっくりと滑る。そのうちの一本は20cmくらいの吹き溜まりにあり今回のアルプスで一番深い雪であった。


     
ジョンとピーター                     私の滑った跡、ここの雪が一番深かった
     

昼休みをとった後、二人と別れ、我々はさらに少し滑って、スピエボデンのゴンドラに乗り換えラングホフに行き、さらにTバーでその上に、ここは2日目に来ているが、そこから左へと滑り降りると、ここのスキー場の全てをカバーしたことになる。天候も雪質も合格点で最終日を迎えることが出来た。これが我々のアルプスでのラストランになる。下に村がみえる。私が滑る、佐野さんが続く。途中で佐野さんを見失った。左へ左へと行こうといっていたのに、佐野さんは間違えたコースを行ったようだ。無線機を入れて連絡を待ちながら合流出来そうなポイントで待つ。最後は一緒に滑って〆るたいところであるが、なかなか来ないのであきらめて下りようとした時、山陰から佐野さんが出てきた。麓を目指して一緒に、力強くアルプスを踏みつけてターンし続ける。途中にゲレチャグロッテとか言う難しい名前の山小屋風の小さなレストランがある。そこで麓に下りる前に一回目の打ち上げをしようと決めていた。私がスキーを脱いで先にビールを頼もうと山小屋風のレストランに入る。二つ入り口風のドアがある。手前のが少し開いているので、勢いよく中に入るとレストランのキッチンへの入り口であった。料理していた人が、3メートルほど離れたもう一つのドアの方を指差し、あっちがレストランの入り口だと教えてくれる。少し体裁が悪い。教えられたドアから入ってビールをオーダーして、外にあるテーブルに向かうと、隣のドアから佐野さんが体裁悪そうに出てくる。彼も私と同じように手前のドアをレストランと思い勢い良くドアを開けて飛び込んだそうである。「もう一人ヤパンが飛び込んで来たぞ!」と、皆に笑われたらしい。ヤパンとは日本人のこと、さすが佐野さん、ナイス フォローである。

でもそんなの関係ないで、二人で明日には見納めになるアルプスを仰いで一回目の打ち上げの乾杯する。「お疲れさん、最高のスキーだったね」「乾杯!」

    
後ろは氷河とクレパス、これかアルプスでのラストラン、そして少し恥ずかしかったレストランでの乾杯

いよいよ最後のランである。だんだんなだらかになるゲレンデの終点を目指し、右左にターンを切りながら初心者コースを滑りおりる。この先が斜面の終わりである。左側を滑る佐野さんが突然、蛍の光のメドレーを口ずさむ。「何か、涙がでそうだね」佐野さんが言う。その声を聞いた途端、目頭が熱くなり目の前の斜面が少し歪んで見えた。私も最後のコースを滑りながら同じ感情を持ってアルプスでの出来事を思い出していたのである。スキーを脱いで、振り返れば夕暮れのアルプスが我々に別れを告げている。これが滑り収めである。さようならアルプス、素敵な思い出を有難うアルプス。

     
蛍の光を口づさみながらラストラン、お疲れさん、山をもう一度振り返る佐野さん、さようならアルプス、有難うアルプス

夕食の食堂でサースフェーのヨーロッパホテルを忘れないようにと、ウエイター頭のアイリスが別れに私たち二人にマスコットをくれた。食後、3回目の打ち上げに外に出かけようとするとロビーで飲んでいたオーナーのセバスチャンに引き止められる。バーから一杯19フランもするお酒を持ってこさせて我々にご馳走してくれた。この1週間、客も従業員も白人ばかりのこのホテルで、彼らのおかげで我々は他のどの客よりも厚くもてなされて過ごす事が出来た。

出発の朝、サース フィーは雪が降り出した。外には10センチほどの雪が道路を覆っている。天候に恵まれた6日間であったがスキーは天候が崩れて雪が降らないと出来ないスポーツである。出来ればここで新雪を滑りたかったと言うも思いはあるが、今回はそれ以外では、十分に良い思い出を沢山貰った。

我々より少し早く8時にホテルを出発するジョンとピ−ターと別れ、荷物を持って8時45分の出発時間に合わせて、ロビーに下りるとセバスチャン、アイリス、レジナが見送ってくれる。来年また来るからという佐野さんを制して、来るように努力するからと伝える。

有難うヨーロッパホテル、そして壮大なるアルプスの山々、我々の出発はあたり一面真っ白な雪景色の中であった。





     

    
 
      

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  帰りの飛行機からアルプス連峰が見えた         またいつか訪れる日を願って